楽しみ+習慣

コーヒーが好きだけれども、家族の中で飲むのは自分だけだし、砂糖はなくてもいいが牛乳は入れなきゃ飲めないし、ブラックで飲むほど味はよくわからないので、専らインスタントか簡易式ドリップにお世話になっていた。

バリスタなどの手軽さも良かったけれど、飲んでみたい店の豆がいくつかあったので、HARIOのドリッパーとサーバーとミルを思いきって購入。実は結婚してからずっと欲しい物のひとつではあったけれど、夫はコーヒーの香りも嫌いだし、自分の為だけに買うには贅沢かなと思っていたが、もうそんな気遣いは何処へやら。夫がいない間に堪能すれば無問題。

キッチンには、ホームベーカリー・たこ焼き器・電動ブレンダーなど、年に数回の出番しかない(それでもないと困る)道具があるので、これ以上増えることに躊躇していたのだけれど、ここのところずっと外でコーヒーをゆっくり飲む機会が減ってきているので、家で贅沢してやろうということに。
毎朝、挽いて淹れて飲む習慣がつくかわからないけれど、こういう道具はテンションが上がるなぁ。


HARIO ( ハリオ ) セラミックコーヒーミル・スケルトン MSCS-2TB

HARIO ( ハリオ ) セラミックコーヒーミル・スケルトン MSCS-2TB

HARIO (ハリオ) V60 シングルスタンド オリーブウッド VSS-1-OV

HARIO (ハリオ) V60 シングルスタンド オリーブウッド VSS-1-OV

ついでに欲しかったマグも購入。


個人的に、コーヒーに合う甘味といえば餡子だと思うけれど、誰にも賛同されたことがない。
最近、近所のスーパーで「珈琲煮豆」なるものを発見した。甘いコーヒーで金時豆を煮たものだったけれど、美味しかった。今度うちでも作ってみよう。


肝心のコーヒーは、豆をゴリゴリ挽く音、ドリップした時に出る泡と香り、苦みもそれほど強くなくて旨い。ということが、自分の舌で感じられて良かった。わからなかったらどうしよう、という不安を持つほど雑な舌なので。

5月

原作と映画を両方。




つやのよる (新潮文庫)

つやのよる (新潮文庫)

こちらも原作と映画を。




舟を編む

舟を編む

映画を先日TVで観た。原作も読んでみたい。




観に行きたかったけど、既に上映期間が終わっていた。




原作を読む。





ソロモンの偽証 第I部 事件

ソロモンの偽証 第I部 事件

ソロモンの偽証 第II部 決意

ソロモンの偽証 第II部 決意

ソロモンの偽証 第III部 法廷

ソロモンの偽証 第III部 法廷

寝る前と風呂の中で少しづつ読んだ。とにかく長い。





花子とアン」を観ていて、大人になった赤毛のアンのその後を読んでみたいと思い、図書館で予約。同じように思った人が沢山いるのか、貸出予約がいっぱいだった。

春休み

毎年3月下旬のこの時期は、娘と2人だけで実家へ帰省し、地元の友達家族と遊び、父母と花見をし、墓参りが恒例。


ある日、母が病院へかかっている間、病院近くの公園で父と娘と私の3人で時間を潰していた。
いい天気だったので、公園には他にも小学校高学年ぐらいの少年達(10人位)がサッカーをして遊んでいた。父と娘はブランコに乗ったり、他の遊具で遊んだり、飽きたら雑草を摘んだり石を拾ったり、私は日陰で友達に借りた漫画を読んでいた。

気付くと、父と娘は石ではなく、ジュースの空き瓶の破片などのゴミ拾いをし始めており、ちょうどサッカーボールが父と娘の所に転がって、それを拾いに来たひとりの少年に、「いつも自分達が遊んでいる公園なんだろ。ゴミくらい拾わんか」と話しかけていた。
父は初対面とか相手の年齢関係なく、ごくあたりまえのように説教(本人は『説教』とは思っていない)をする人なので、ちょっとした世間話のつもりでそういう会話を普通に切り出す。たまたまその場に私達家族がいる時なんかは、ぴーんと張りつめた空気が漂うこと、昔から日常茶飯事だった。
その時も久々に「来たな」と思って様子を窺っていると、父に話しかけられた少年はボールを抱えて、父の顔をじっと見て話を聞いていた。他の少年たちも「?」という顔をして、少し離れた場所から様子を窺っている。
父ひとり「お前たちの父さん母さんが、汗水流して働いて収めた税金で、公共の施設や公園なんかは整備されてることぐらい、もうわかる年齢だろうが。この公園にゴミが落ちていることぐらい、遊んでたら気付くだろう。そろそろ社会の役に立つことを自分からするように意識しろ」と言いながら、割れた空き瓶の破片を拾っていた。いつもは騒がしい娘も黙々と拾っている。
私は、その少年が適当に返事をしながら「変なジジイに説教された」とか思いながら、その場を立ち去るんだろうな・・・と思って静観していると、なんと少年は何も言わず父と一緒にゴミを拾い始めたのだ。しばらくして、他の少年達も訳も聞かず、それに倣ってゴミ拾いを始めた。
私はもう、いてもたってもいられず、「ありがとね〜付き合ってもらっちゃって。近所に住んでるの?」とおばちゃん丸出しで声をかけたら、この春に小学校を卒業したばかりだという。12歳。こんなに素直だったっけ。この少年達がたまたま良い子なだけだろうか。

父はそれ以上特に少年達には話しかけず、目立ったゴミを拾い終わると「ご苦労さん」と言っただけで、少年達も返事をする程度で、その場はあっさりと終わった。
帰りの車の中で「今時の子は携帯いじったり家でゲームばっかしてるかと思った〜」「12歳って見知らぬ大人に対してあんな素直だったっけ?」と父に向って言っても、父は特に嬉しそうでも何でもなく至って普通(私の問いかけには無視)、娘は「みんなでゴミを拾うと、早くキレイになるね」と満足気な様子。

思春期の頃は、何かとすぐクレームをつけ喧嘩に持ち込む、一般市民でありながらヤクザな態度の父に嫌悪感しかなかったけど、初老になり孫娘を連れても尚、ああいうことを普通にあたりまえだと思ってやっているなんて、離れて暮らすと余計に情がわく様であれだけど、なんだか面白い出来事でした。

年末年始

●大掃除
前回は念入りにしなかったので、今回は12月上旬から計画を立ててみたものの、「立てるだけでやった気になる」という法則通りの結果に。
我が家の鬼門である玄関タイルの掃除、キッチンの換気扇をやって力尽く。
夫は毎年恒例、各部屋の換気フィルター掃除(そのフィルター、1年半で買い替え。早すぎる)、照明関係など高いところ全般。

無性に新しい掃除機が欲しくなる。
娘が産まれる直前に今の掃除機(排気がキレイになって出てくるというのが売りの、普通のやつ)を買ったんだけど、1軒家の掃除には使い辛い。
コードレス(マキタとか)で気付いた時にサッと、1日に何度も掃除機を使いたい場面があるし、アパートにいた頃より部屋数が増えた分、一度にザッとやるよりも、こまめに掃除をした方が楽ということに気付く。でもそれよりも、リビングに20畳用のエアコンが欲しいので、優先順位は後になるだろう。

床のワックスかけは、GW頃に年1回ペースで(夫が)やる。
物がどんどん増えるパントリーは、増やせないような収納の仕方に徐々にする。
シューズクローゼットは2ヶ月前に掃除をしたけれど、もう砂だらけ。家の周りが畑だからか、砂というより土の塊が入ってくるし、雨が降った翌日なんかは、玄関が大変なことになる。何とかしたいけど、どうにもならない。私が掃除を頑張るだけ。玄関まわりは毎朝ざっと掃いてるけど、それでもなんだか砂っぽい。拭きあげた方がいいんだろうか。




●誕生日
夫の誕生日に勤続10周年記念の旅行へ行った(近場の温泉)。
アウトレットにも寄って、そこで夫が通勤用と休日用の鞄2つと時計を大人買いしていた。
物欲皆無の夫が「これが欲しい」「こういうのがいい」とテキパキ動いていたのにはびっくり。よっぽど欲しかったんだろう。
逆に、物欲の塊のような私は何も買わず。アウトレットに行って何も買わずに出てきたのなんて初めてだと思う。欲しいものは既に別のところで予約をしているから、というのが理由なんだけど、それを知らない夫は「節約主婦になった?」と勘違いしていた。そういうことにしておこう。




●クリスマス
娘が書いたサンタさんへの手紙は、字が書けないので絵で欲しい物を示していた。
「大きい靴下の中に手紙を入れて、枕元に置いて寝る!」と、何処で仕入れてきた情報か(きっとたぶん幼稚園)、母を百均にグイグイ連れて行き「ここに大きい靴下が100円で売っとる!」と誇らしげだったので、笑った。
12月上旬頃、急に希望していた物とはちがう物を欲しがる素振りを見せはじめ、2週間くらい毎日心が揺れ動いていた娘。それを、素知らぬ顔をしながらも、既に用意しちゃってる親としては、「もうサンタさん手紙読んで、お店行って準備してるから、変更するのは困ると思うよ〜」と吹き込みつつ、なんとか無事に本来のプレゼントへ舞い戻り、皆ひと安心。ヒヤヒヤするわ。

去年は買っただけで、やる気ゼロだったlovi(ツリー)を無事に組立て、調子づいた勢いで、花+雑貨の店で枯れ木を寄せ集めて作ったツリーみたいなオブジェ(高さ80センチ)を購入。大事に抱えて帰った。
玄関外に置いて、帰宅の度にニヤニヤして見ていた(自己満足)。そのオブジェを見た義母には「幼稚園で(娘が)作ったの?」と言われ、夫には「それ、腐ってる(ツリー)みたいだね」と言われる。







●2013年を振り返って
今年は夫と娘がそれぞれに新しい環境に入って、今までの我が家にはない、多忙で新鮮な1年だった。
私はフォロー的な役割で、自分自身の事よりも、きっとこれからもこういう感じの事が増えたり減ったりして、続いて行くんだろうな、という感覚がわかった。
来年は自分の中では「節目の年」だと思っているので、色々と判断し決断する場面が増えそうな予感。考えすぎて煮詰まらないように、適度にガス抜きして(今も十分抜いてるけど)やっていこう。
今年の平穏無事に感謝すると共に、来年も皆が心身共に健康でありますように。






●2014年
いつも通り元旦〜4日まで実家や親戚まわり。
2日に行った初詣で夫婦共におみくじは大吉。夫は去年に引き続き大吉。娘は吉(去年は大吉)。私は久々に大吉だったような気がする。新年早々、このおみくじのおかげで救われた気分になった。単純だけど、こういうのが大事。自分で自分を持ち上げる。
境内にて娘のクラスのお友達家族に会うも、夫の方が早く気付き挨拶するという、人の顔どんだけ憶えてないんだか、新年早々の指摘。確かに。本当に人の顔と名前を憶えるのが苦手。

しみじみ、兄弟の結婚で家族が増えるのは楽しいと思うようになった(特に自分の)。兄のお嫁さん(義姉)が本当に気立てが良くて優しいせいもあるけど、娘は初対面からよく懐いているし(滞在中はずっとひっついているし)、義姉はなんで頑固で毒舌な兄と結婚したのか。不思議でならない。妹も近々結婚する予定なので、また家族が増える。めでたい。



6日から普段通りの生活に戻る。
夫は早速風邪を引き、娘は相変わらず幼稚園ではマイペースを貫いていたらしい(娘談)。
私は、初冬から年末にかけて、少しだけ人間関係でザワザワした思いを抱く出来事があったけれど、年末年始の慌ただしさや家族との交流、友人からの便りもあって、随分と気持ちは癒されたし立ち直ったと思う。
それにしても「沈黙は金」だなとつくづく感じる。無駄な足掻きはせず、地味に控えめに楽しくやって行こう。

読んだ・観た

汗をかきながら、風呂の中で読む。
著者は生活全般だらしないけど、食事に関しては言うほどだらしなくはない(と私は思う)。もし自分がひとり暮らしをしていたら(したことないけど)、もっといい加減な食生活を送るだろう。今は家族がいるから、何やかやでやっているだけ。
自分の手料理を、毎日写真に撮って人様に見せることが出来る時点で、だらしなくはない。

それにしても、他人の食事日記は私にとって何よりも興味深いものだ。
おふくろの味は何だったか?とかマズイお店の話、むしょうに食べたくなるものの話、など、話は尽きないし飽きない。

夫には時々、会話のついでに「今日のお昼(社食)は何だった?」と聞くけど、「忘れた」とあっさり終了4割、面倒臭そうに渋々答える3割、「なんでそんなこと聞くの?」と半ギレ3割、という反応。
仕事から帰ってきて疲れているのに、しょーもない飯の話なんか振ってくんな的な、夫の不機嫌さはわからんでもないけど、だから余計にわざとやってしまう、かまってちゃん嫁なだけ。ごめんねごめんねー。





すーちゃんが柴崎コウって、目の大きさ全然ちがう。
すーちゃんの原作の雰囲気を大事にしているであろう(それが持ち味なんだし)、映画でそれを再現するのであれば、CMファブリーズの平岩紙や「野田ともうします」の江口のりこ安藤サクラ奥田瑛二安藤和津が両親)が適役。柴崎コウ真木よう子は少女漫画みたいな目だし。それにしても寺島しのぶは何故ベリーショートにしたんだろう。襟足のつんつんした毛が気になる(私と同じ)。
ファンシーテーブルの色が薄紫だったのにはちょっとビックリした。

読んだ・観た

すーちゃんシリーズ第三弾。
すーちゃんの絵柄は落書きっぽいのに、題材や内容は現実かつシビアで、読後のほんわかを期待して手に取った人にとっては、早々に裏切られてしまうと思う。本や漫画の存在価値が、現実逃避できてなんぼと思うのもありだけど、すーちゃんは真っ向勝負してて、昔の古傷が痛む。





夏休み、夫と娘が「モンスターズ・ユニバーシティ」を観ている隙に、私はこちらを。

ユーミンの「ひこうき雲」は名曲。この映画は、この曲に救われている部分が大きいのではないか。
声フェチの自分としては、まず主人公の吹き替えを聞いた途端、映画に集中する気持ちが半減したのが正直な気持ち。恋人役の若手女優(名前失念)の声が素敵だったので、余計に違和感が際立っているとも思った。



そして父になる【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)

そして父になる【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)

昔ひとりで「誰も知らない」を映画館で観た時、曲が映像の邪魔をせず、静かで淡々としたドキュメンタリーの様な作品だなぁと思ったのを思い出す。
私は福山雅治を、格好いいとか男前とか微塵も思わない理由が、この映画を観てなんとなくわかった。
鼻持ちならん役柄が、自分の思う「福山雅治像」通りで、思わずにんまりしてしまったほど。


二組の夫婦の、それぞれの生活と子育てを見て、帰り道に夫と話す。
リリーフランキーの家庭の暖かさは懐かしさを感じるし、福山の家庭の住居具合は今の私達の暮らしに近い。
我が家の場合、娘とお風呂は一緒に入るけど、寝かし付けは絵本を1冊読んでおわり。寝室は親子3人川の字だけれど、「せーの」と一緒にくっついて眠る事は滅多にない。
昔の自分を思い返せば、下に妹がいたので、幼稚園の年中からお風呂はひとりで入っていたし、髪を乾かしたり寝る前の支度なども、全部ひとりでやっていた。それがあたりまえだったし、自分ひとりで出来る喜びがあった。
娘を見ていると、年少だからかまだ親にやってもらう甘え(喜び)が大きいし、今のままひとりっこでいくと、親も子もまだまだ甘え合うのが居心地よく続くと思う。
どちらがいいのか、そもそもそういうものに正解はないんじゃないか、とも思っているし、よくはわからないけれど、自分の思う子育ては、必ずしも自分が育った環境が元になっているとは限らない、ということ。
子自身に合った方法が一番いいのだろう。でも時々、自分の時はこうだったああだった、が出てきて、混乱する時もある。夫と自分の子ども時代が違いすぎて揉める時はそういう時。
うちの実家は明治・大正生まれの祖父母同居の「質素堅実」な家庭だったし、夫の実家は典型的な核家族で、比較的裕福で自由な家(だと私は思う)から、思い出ひとつとってみてもちがう事の方が多い。互いの良い部分を取り入れたいよね、と思いながらも、そうそううまくはいかない。





夫が地域ボランティアの慰安旅行へ行っている休日、娘と二人、プリキュアの映画を観に行く。
娘はそれはもうずっと楽しみにしていて、風邪で2回、約束が流れた時は、がっくりと打ちひしがれていた。その様子を見て、親は思わず笑ってしまったほどに。それがあっての3回目の正直、朝の目覚めからして、普段とはまったく違ってテンション高く、子どもの頃のこういうワクワク感は特別なものだなぁ、と懐かしく思う。クリスマスプレゼントはもちろんプリキュア。サンタへ手紙を書くとのこと。

秋の行事

●運動会

9月は真夏だなーと実感する。
年少は日向と日陰が半々、年中はほぼ日陰、年長は見やすいけどほぼ日向、という保護者席。そして、蚊がわんさかいた(虫除け必須)
駐車場問題はさほど深刻ではなさそう。来年からはもう少し遅出でも十分間に合うはず。

子ども達の団体競技に関心するも、それを教え込む先生達は仕事とはいえ、本当に凄いなぁと感心する。生徒も先生も皆よく日焼けして、この日の為に頑張って練習をしてきた証。素晴らしかった。




●習い事

運動教室的なものをやっているんだけれど、はしゃいで調子に乗ってテンションMAXになる娘は、挨拶・集合などけじめの場面でもマイペースにふざけている。そんななので、先生からがっつり叱られる日々。娘と一緒のお調子者タイプの子達が叱られ泣いている中、娘ひとり「なんともない」の表情。先生もプロなので、そんな娘に対して厳しく追い詰めるやり方が適格で、娘「もう行きたくない」発言。「じゃあ、やめようか」と私。2〜3日たって「やっぱり行く」。
こういう時、よその母達は「娘ちゃんおもしろいよねー」と言ってはくれるが、いざ自分の子がそんなだったら困るんだろうなー、とも思う。私は毎回、脇汗が凄いので。
でも、こういう集団の場では、なるべく娘が他者(先生や友達)と多く関わって、親ではない誰かから学んで欲しいと心から思う。
脇汗をかきながら、母はそう思って見続けてます。

最近は無事にけじめをつけることが出来るようになりました。めでたしめでたし。





●発表会

幼稚園ではなく市のホールを貸し切って。
駐車場は各々で探す(これがNO地元民・NOカーナビの自分には大変だろうと思っていたが、あっさり見つかった)

運動会と同じく、年少の席は一番後ろで年長は一番前。
目が悪いので、我が子が舞台の何処にいるのか探す間に終わってしまう・・・というパターン。
ビデオを撮っている人はズームがあるから、見つけるの楽だよ〜と言ってたけど、うちはたぶんそれでも買わないだろうなぁ。
年少の歌や踊りは、おぼつかない感じがとにかく可愛かった。泣いちゃって動かない子、途中(たぶん)間違えて動きが止まる子、そういうハプニングがあると、本当に子どもは可愛いなぁと思う。
年中年長からの出し物は、男子かっこいい系・女子お姫様系へと移行して、なんだか誰が何なんだか区別がつかず、隣の夫は寝ちゃうし、我が子の出番が終わったらさっさと帰る親が多いのに、納得した。