読んだ・観た

すーちゃんシリーズ第三弾。
すーちゃんの絵柄は落書きっぽいのに、題材や内容は現実かつシビアで、読後のほんわかを期待して手に取った人にとっては、早々に裏切られてしまうと思う。本や漫画の存在価値が、現実逃避できてなんぼと思うのもありだけど、すーちゃんは真っ向勝負してて、昔の古傷が痛む。





夏休み、夫と娘が「モンスターズ・ユニバーシティ」を観ている隙に、私はこちらを。

ユーミンの「ひこうき雲」は名曲。この映画は、この曲に救われている部分が大きいのではないか。
声フェチの自分としては、まず主人公の吹き替えを聞いた途端、映画に集中する気持ちが半減したのが正直な気持ち。恋人役の若手女優(名前失念)の声が素敵だったので、余計に違和感が際立っているとも思った。



そして父になる【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)

そして父になる【映画ノベライズ】 (宝島社文庫)

昔ひとりで「誰も知らない」を映画館で観た時、曲が映像の邪魔をせず、静かで淡々としたドキュメンタリーの様な作品だなぁと思ったのを思い出す。
私は福山雅治を、格好いいとか男前とか微塵も思わない理由が、この映画を観てなんとなくわかった。
鼻持ちならん役柄が、自分の思う「福山雅治像」通りで、思わずにんまりしてしまったほど。


二組の夫婦の、それぞれの生活と子育てを見て、帰り道に夫と話す。
リリーフランキーの家庭の暖かさは懐かしさを感じるし、福山の家庭の住居具合は今の私達の暮らしに近い。
我が家の場合、娘とお風呂は一緒に入るけど、寝かし付けは絵本を1冊読んでおわり。寝室は親子3人川の字だけれど、「せーの」と一緒にくっついて眠る事は滅多にない。
昔の自分を思い返せば、下に妹がいたので、幼稚園の年中からお風呂はひとりで入っていたし、髪を乾かしたり寝る前の支度なども、全部ひとりでやっていた。それがあたりまえだったし、自分ひとりで出来る喜びがあった。
娘を見ていると、年少だからかまだ親にやってもらう甘え(喜び)が大きいし、今のままひとりっこでいくと、親も子もまだまだ甘え合うのが居心地よく続くと思う。
どちらがいいのか、そもそもそういうものに正解はないんじゃないか、とも思っているし、よくはわからないけれど、自分の思う子育ては、必ずしも自分が育った環境が元になっているとは限らない、ということ。
子自身に合った方法が一番いいのだろう。でも時々、自分の時はこうだったああだった、が出てきて、混乱する時もある。夫と自分の子ども時代が違いすぎて揉める時はそういう時。
うちの実家は明治・大正生まれの祖父母同居の「質素堅実」な家庭だったし、夫の実家は典型的な核家族で、比較的裕福で自由な家(だと私は思う)から、思い出ひとつとってみてもちがう事の方が多い。互いの良い部分を取り入れたいよね、と思いながらも、そうそううまくはいかない。





夫が地域ボランティアの慰安旅行へ行っている休日、娘と二人、プリキュアの映画を観に行く。
娘はそれはもうずっと楽しみにしていて、風邪で2回、約束が流れた時は、がっくりと打ちひしがれていた。その様子を見て、親は思わず笑ってしまったほどに。それがあっての3回目の正直、朝の目覚めからして、普段とはまったく違ってテンション高く、子どもの頃のこういうワクワク感は特別なものだなぁ、と懐かしく思う。クリスマスプレゼントはもちろんプリキュア。サンタへ手紙を書くとのこと。