4月

娘の1日保育もはじまって、絶賛ひとり時間満喫中。


とはいうものの、私にはお茶やご飯へ気軽に行ける友達が皆無なので、本当の意味でもひとりの時間。←嫌いではない。
それでもこういう時、実家が近くだとか地元で結婚した人を少し羨ましく思うこともある。生まれ育った場所でずっと暮らすことは、新しい環境や生活になった時も、ブレない軸のようなものがしっかり根付いているからか、馴染むのが早い気がする。
でもだからといって地元で暮らしたいかといえば、それはお断りで(笑)、「故郷は遠きにありて思うもの」という詞も、本来の意味は「故郷になんか絶対帰るもんか!」的な意味ですからね。私にとっての本音はそこにある。
故郷にいる家族や友人は大切だけど、色々あった過去(うっすらとしている)なんかも、地元へ帰ればひょんなことからくっきりしたりして、長く滞在はしていられない心境になることも、たまーにある。




友人は、はじめて子どもが幼稚園へ行った日、淋しくて泣いたそうだ。で、幼稚園へこっそり覗きに行ったらしい。そしたら似たような母達が、すでに2人もいたそうだ。幼稚園の先生曰く「毎年2〜3人はいらっしゃいます」。
娘の場合、母と2人でいる日々よりも幼稚園へ通う方が絶対に楽しいし、2歳の頃から「はやく行きたいな〜」と待ちに待った日々を今は送っているので、私も娘がいなくて淋しいという気持ちがキレイさっぱり、まったくない。やっと念願の生活が始まってよかったね!という気持ちしか、ない。
親の淋しい気持ちって、子どもにとっては負担というか重い気がする。というのも、自分自身が親のそういう気持ちに敏感で、疎ましく思っていた時期があったから、余計にそう思うのだろう。
何もできない可愛い赤ちゃんのままでいて!という気持ちもわかるけど、子どもにはその時その時の可愛さがあるから、それを十分味わっていれば満足かな。





「幼稚園でどういう風にやっているか、覗いてみたいよね〜」とバス停で一緒のママ達とはよく喋っていて、定点カメラとか付けてくれないかなぁ、とか妄想もしている。先日は担任の先生から、娘は教室から園庭へ何度か脱走しているという話があって、やりたくないことは絶対にやらない主義の娘らしい様子が聞けて笑えた。不真面目かもしれないけど、娘らしいのびのびとした言動を聞くと、つい「やってるね〜」とニヤニヤしてしまう。それにしても先生という職業は本当に大変だなぁ。頭が下がります。